キャリアとは、職業・技能上の経験。経歴のことである(goo辞書)
ふと思い立って、自分なりに経歴を整理してみようかと。企業に提出するものでもないし、より自分と日常に沿った感じでまとめてみます。記憶は捏造されるものなので、事実は違う感じだったかも知れませんが、まあご愛嬌ということで。あと最低限の専門用語がでてくるかもしれません。そのジャンルに触れたことがない方には「なんのこっちゃ」という話もありますが、読み飛ばしていただいてもOKです。
結論としては、(満足はしてるみたいだけど)レールからは外れちゃってるよね、という感じでしょうか。
1,消防士にはなれなかった期(0社目)
大学は工学部に進んだものの、消防士を志望した。体育会系で体力には自信があり、またわかりやすすぎる「やりがい」がほしかった。地元と東京消防庁を受けたが、不合格だった。試験には一定の自信をもっていた(と思う)が、4年生時、就職浪人して、と2回も受けたがダメだった。こうして「新卒」というSSカードも失い、キャリアとして最初から完全にコケていたと思う。
ただ社会を知らなかったこともあり、あまり気にしていなかった。社会的ステータスや待遇にはあまり興味がなかったし、心の余裕があった(ようだ)。さらに「2回受けてダメなら、それも運命だろう」と、消防士へのこだわりすらなかった。
2,仕事をはじめた期(1社目)
働くならとIT業界を志望した。新卒カードもなく、9月という中途半端な時期だったが、とりあえず何社か地元のIT企業にメールしてみた。結果、反応はなかった。そしてハローワークで見つけた小さな企業に滑り込んだ。
大手の半導体製造工場のシステム監視・保守の仕事だった。工場に常駐し、2交代でシステムを監視し、また現場からのQA、トラブル対応を行うというものだ。ITといっても幅広い。担当していたのは、アプリケーション、サーバ、ネットワークなど、である。装置関連は専門の業者がいて担当範囲ではなかった。「あー、その内容は装置関係ですね。◯◯社へ連絡ください」といった感じだ。
ここでITの基礎の基礎を一通りを学んだ。サーバ、クライアント、OS、ミドルウェア、ネットワークなど。あとExcelの使い方やシェルスクリプトやPerl等で簡単なバッチプログラムも組んでみたりした。
3,ひたすら仕事した期(2社目)
3年もすると転職を考え始めた。仕事にも慣れてキャリアアップしたかった。どう転職活動したのかは覚えていないが、求人サイトでみつけた地元の大手ITベンダーに入社した。日本人なら誰でも知っている会社グループであり、一気にランクが上がった感じである。元が低かったので給与が一気に上がってワクワクしたのを覚えている。
仕事は、とある社内システムの開発・保守だった。
さすがは大手企業、ここで仕事とは何かを教えていただいた、と思う。プロマネとして、要件定義、基本設計、プログラミング、テスト、移行等の一連の開発業務に加えて、稟議手続き、予算管理、外注管理、進捗管理といった業務、また折衝やドキュメンテーションといったスキルを身につけることができた。いまもここでの財産で仕事をできていることを考えると本当に与えられたと思う。ありがたや。
一方で、大手ITベンダーあるあるではあるが自社サーバー、自社ミドル、自社パッケージ、さらには自社言語と、IT環境的には潰しがきかないよろしくない状況だったと思う。
この会社で5年近く働いて、退社することになる
4,ちゃぶ台返しした期(無職)
退職理由はいろいろあるが、いま思えば「何か違う」ということだったのかもしれない。安定した待遇と引き換えに、厳しめの労働環境(決してブラックではないと思う)、大企業の歯車と働く意味、将来への展望にメリットを見いだせず、これじゃないかも、と考えた。
東日本大震災があったのも大きかった。自然の脅威の前に、なすすべもなく失われる命があって、大げさな言い方になるかもしれないが「将来のためにいまを我慢する」状態になっていることを見直したいと考えた。人は、明日死ぬかもしれない。
完全に贅沢病である。生きるための退職ではない、自己実現のための退職である。ただ、自分にとってとても大事で価値ある分岐点のひとつだったと思っている。
結果、カナダ・バンクーバーへ移住することとなる。何かチャレンジがしたかった。
当時の開放感は、いまでも忘れられない。仕事もお金もないが、人生最高の時期の一つと言えると思う。2ヶ月の語学学校を経て、求人があがっていた日系の金融代理店に社内IT職で勤めはじめる。
5,社会を見る目を養った期(3社目)
規模の小さい会社であったこともあり、IT職だけでなく幅広い仕事を経験することになる。本当に幅広い経験をさせていただいた。
IT関連では、既存システムの追加開発、クラウド(AWS)移管、各種ツール化、HP再構築、遠隔拠点間のファイル共有などがある。ベンダーの縛りがなくサービス選定からスタートする。全社横断的なITが関わるところでオープン技術・サービスで比較、試行錯誤したのは、前職にはなく、とてもおもしろかった。また役立つ経験だったと思う。ちなみに予算の優先度が高くなるので機能と価格に関する比較は重要である。
IT以外では、経営企画も経験した。ITを通じて各部署や経営層とも関わっていく中で「もっと◯◯したらいいじゃないかと思うんですけど、どうですかね?」といった話を通じて、いつの間にかという感はある。各種数字も含めていろんな業務に横断的に精通していくと、おのずと課題と改善策も見えてくる。その結果、事業戦略を考える役目として仕事をいただくことになる。
セミナー講師もやった。10名〜50名ほどである。顧客や提携パートナーの方へ情報発信を行うものである。東京・大阪・名古屋・広島・福岡はじめ各地へ出張した。一定数以上の人前で話すことに抵抗はなくなった。またその企画から実行管理も一手に担当していたので、どういう作業が必要になるかも学んだ。
このぐらいの会社では、それこそ部署とか職種という括り自体の垣根が薄い。やらなくてはいけないこと、やったらいいことを優先順位から実行していくだけである。こうやって小規模の何でも屋を経験できたのは本当によかったとおもう。あたらしいことをいっぱい体験・吸収できた。
あ、あと会社立ち上げも経験した。金融系の新規事業会社を設立するにあたり、代表取締役として仕事した。最終的には本格稼働前に頓挫することになるが、企画から必要となる人員募集、士業提携、会社設立、各種行政手続きを一手に対応した。資金調達のため銀行へ、また金融庁にも出向いた。1年ほどだったが、ここも大変エキサイティングな経験だった。
と、まあ幅広い業務に関わることとなる。その中で必然的に培われるものは、「金融知識」と「社会を見る目」である。
これまで金融の「き」の字も知らなかった。自分の興味にまかせるままFP2級や外務員一種、証券アナリスト、CSCをむさぼった結果、土台はできたと思う。実務経験もしてきた。
そして、自分の中では「社会を見る目」を少しでも養えたのは本当によかったと思う。金融業界、職務経験を通じて「社会」について学べたと思う。細かくはきりがない。
例えば、資産運用提案では、背景にある社会事情でニーズを引き出す必要がある。横断的な職務経験を通じて、企業がどのように社会へサービスを提供していくべきかを考える、日本とカナダを比較すると社会制度の違いがみえてくる、などなど。仕事として切り取った表面的な実績以上のもの自分の中に蓄積されたのではないかと思う。
6,いまに至る
以上が、これまでのキャリアをざっくり整理したものです。いかがでしょうか?
貴方様と比較して、わたしのキャリアはどう映りますでしょうか?
たいしたことはやっていない、いろいろ経験値が高い、評価は様々かも知れませんが、わたしが思うに、幅広いスキル◯、専門スキル△といったところでしょうか。
この専門スキルが薄いというのはポイントの一つで、残念ながら大企業ように極限のプロフェッショナルにはあてはまりにくい、と思うのです。ITブランクもあるし金融はかじった程度の感じになります。やはり、ジェネラリストのカテゴリで評価してもらう感じなのかなと。
わたし自身は大変満足しています。正解・不正解を考えることもおこがましいのでアレですが、生まれ変わってももう一度経験したいキャリアです。
社会との適合性を考えると、ベンチャーや小規模のような会社でこそ、スキルが発揮される類なのでしょう。またわたしもそちらが望ましいのかなと思ったりしてます。ただ、そうなると充実した待遇が難しくなります。
そうですね、もし、もしそこを実現するのであれば、そうか、やっぱり自分でつくるしかない、起業するしかな、うん。笑
(そんな甲斐性はありません)
ぜひみてみてほしい。わたし「お笑い」が好きなのですが、新しいお笑いの世界、楽しみ方が知れます。お笑いに携わっている方々の溢れんばかりの人間味が好きです。応援してます!
おしまい。