吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順ふ。
七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず。
(孔子)
お疲れさまです。まだ年末年始ボケがとれないと嘆く読者の皆様。
「モダンタイムス」
ナチ政権によるユダヤ人の組織的虐殺の指揮的役割を
担ったアドルフ・アイヒマンは、逮捕後、その行いについて
問われたときに
「命令されていたから」
と答えたという。
人間は大きなシステムに組み込まれるときに考えることを
やめてしまう。命令に従うことに終始してしまう。
現代の社会は効率化を追い求めるあまり大きく複雑な仕組み
になっている。その全てを把握している人はいない。
だれもが命令されたことをこなすことで動いている。
すべてが部品の一部である。
つまりアドルフ・アイヒマンもユダヤ人大虐殺という行為の
一部品であったと考えることが言える。
それでは誰が悪いのか?指示した人?
指示者に提案した人?
答えはない。誰が悪いとかよいとか言えないのである。
「そういう仕組みになっていた」のである。
ま~本の本筋はこれだけではないんだけど、
こういう記述が心に残りますた。。
大事なことは、時に人は命令に従うだけになってしまうということ。
考えを移して僕の場合を考えてみると、
同じことが言えないかと思って不安になってきたのよね。
自分の意思とかいいながら結局は本能や欲望、強いては大きな
社会の仕組みに生かされているといっても間違いじゃない気がしてさ。
自分たちもその一部として組み込まれているだけじゃないだろうか?
・・・・
なんか僕のブログ最近こういう文章おおいな~、とか思ったでしょ?
僕も思う。
でもさ、んじゃどうやって生きて行けばいいのよ!って。
自分が仕組みの一部として流されてないってどういうことよ。
自分のしたいこともないのに自分の意志もクソもないじゃない?
僕は結局何のために生きているのよ
何が、何が、したいのよ!
って思っていますた。
しかしながら、なんと僕はとうとうこの問いに対する回答を見つけてしまいました!!
それは、「人生を楽しめる人になること」
そのためのプロフェッショナルになること。
なんとなく考えていたことではあるけど
元々人生の目的は 幸せになること だと思っていました。
そのためにお金を稼いだり、
そのために結婚したり、子供を作るんだよ。
例えば、僕はお金が欲しいから働くのではなくて、
人生を楽しむためにはお金が必要で、そのために働くってこと。
だから働くにしても人生を楽しむための分のお金があればそれで十分なのよ。
(働くことで得られるのはお金だけじゃないけどね)
目的は人生を楽しむこと。
これを満たすために日々生活します。
聞いてみりゃそりゃそうだろって思うかもしれないけどさ、
仕組みの一部のままの人は自分の生きる目的見つけれて
ないんじゃないかと思うのよ。
どぅですか?読者の皆様は自分の目的いえますか?
まず、これを明確に認識できるかできないかで違うはず。
次に楽しむってことはかなり難しいんだよね。
だからそれを体系的に身につけていってみようかなと思ったのよ。
いきあたりばったりだけじゃなくて
一般的な人間の欲望についても調べながら、
論理的に楽しめることを身につけたいのよね。
奥が深い。
いろいろ世知辛い状態から楽しむための考え方や方法を
考えていきたいなと思っています。
そういうのを突き詰めていこうかなと思っています。
孔子は30にして立った(生きる目的をみつけた)そうですが、
僕は28にしてその域に達したと自負しておりますが、、
何か?
これに気づいたときけっこうインパクトあったんだけど、
ワイフには「へ~、っで」で一蹴されましたとさ。
「カワイイやつよの~」
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