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文章を書くということについて

文章を書くことは、とてもいいと思う。考えながら文字をうち、文脈をつくり、言葉を綴って意味をもたせる。強弱を作り、何かを読者につたえる。

文章量と優劣が比例するわけでもないのもおもしろい。一見すると長文が情報を多く持つように想像されるが、短文には短文のよさがある。主張が明確になるし、人は想像してそこ自分の経験を重ねてくれるから広がりは無限になる。

読者は「簡単、早く、シンプル」を求めている。シンプルな文章で、迷わないようにストレートに書く。どこを読めばよいかわかりやすい。要点がまとめられていれば、それがやはりベターだ。文章は短く、かかっても5分ぐらいにすべきだ。それ以上かかるような文章をみると何をタラタラと無駄なことを書いているのか、と読むほうが嫌になってくる。無駄な文章をそぎ、装飾で意味をつける。シンプルな構成にすれば、それだけ理解もしやすくなる。

そう、便利になるのだ。

やはり、文章は簡易な言葉で、わかりやすいように。研ぎ澄まされた乾坤一擲を、凝縮された濃厚な滴で提供すべきなのだ。そうしないと、誰にも読まれないし、伝えられない。

いや違う!小さな声で。

もっと自由でいい。その考えを、思いを、迷いを、葛藤を、書き出す喜びを、そのまま表現してもいいじゃない。わたしは、文字を綴って文章をつくることが、頭の名から浮かび上がってくることを拾い上げることが楽しい。そして作家でもライターでもない。趣味である。

文章1つ1つに実は何かがあらわれる。言葉の選定、段落、空白、、、わたしがしらない難しい言葉の機能がその他にも色々あるのだろう。まだまだひよっこのわたしが話す英語は、シンプルな文章で、すべの文に意味がある。言い回しや比喩などなかなか使えない。だからかもしれない。こうやって日本語になるといろいろな思考が言語となって頭に浮かんできて、そのまま文章にできるのは、スゴイことだと実感する。

文章として、意味として、表現されるものだけが全てではない。なぜいまこんな文章をかいているんだろう。どうして頭に浮かんでいるのだろう。当初から考えていたわけではないのです。いつの間にかたどり着いた場所である。

見えないものに(も)価値がある。見えないものをもっと楽しむのに文章は良いものではないかと思うのですがいかがでしょう。

ワイフ:「なんかさ、ブログ再開してからの文章おもしろくないんやけど」

ワタシ:「えー、そんなことないはず。前と何も変わっていないんやけどな」

おしまい

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