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なりたいのギャップは埋めるしかない

もう3月!そうですか、これが現実ですか。。。

「早く何とかしなくては」という病気があると思う。老後の資金不足問題このままではいけない!何かしなくては。大企業もリストラを始めている、何とかしなくては。メディアでは副業が謳われ、Youtuberが大金を稼いでいる。何とかしなくては!

この手の不安に一言物申したい。

まず、そもそも何が問題なのだろうか。問題ではない、ただ時代の変化である。さも「昔はよかったが、これからは大変だよ」的な論調で語られることが多いが、まずこの時点で中年男性のよくある説教と同じ話であることに気づく方も多いことだろうが、昔は昔で問題が色々あった。その過去の問題は解決されて今に至っており、ただそこを議論していないだけである。シンプルにいえば、完璧な社会などないし、これまで一度も訪れたことはない。わたしたちは便利な世の中に生きている。日本という国は、とても充実した社会を形成できている。先人の方々が苦労をして作り上げてきてくれた制度である。ちなみに、日本という国を賛美したいわけではない。いまの国の制度に一切問題はない、といいたいわけではない。比較するところを間違えていませんか?といいたい。完璧な理想と比べれば、劣っている点があるのは当然ですよね、と。いつの時代も生きることはとても大変なことで、いまに始まったことではない。時代時代に苦労があって、試行錯誤があって、まさかがあって、人々は生きているのである。そして、それが完璧解決された社会が実現されたことはない。むしろ、客観的な事実だけみると、いまは比較的豊かな時代といって過言ではないはずである。先人の方々のおかげである。

まず社会という観点でいえば、問題があるわけではない。当然の状態のひとつである。

次に、個人に目を向けてみる。不安だ、不安だに押しつぶされて今を損なってはいないだろうか。未来を予測し備えられることは人類が大きく進化してきた重要な要素といえる(らしい)が、その不安で今を息苦しくしては意味がない。つまり、未来はずっと未来である。ありていにいえば、やはり今しか生きられないのである。未来におびえて生きる人はずっとおびえ続けて今を生きることになる。目の間に不安というにんじんをぶらさげられて走り続ける馬と一緒である。これは考え方の話である。例えば、いまでもその日一日を生き延びることに苦労している人もたくさんいる。比べて、食料、住居、そういった不安を抱えずにすむ状況をなぜ幸せだと思えないのだろうか。わたしたちは可愛そうな生き物だと思う。

じゃあ、どうすればいいか、というと、いろんなことを諦めて(受け入れて)、自由に生きる、ことである。

極論をいえば気候変動で生死は左右される、幸運または理不尽な偶然に出会うこともある、また社会の影響も大きく受ける。大なり小なりどうしようもないことが付きまとうのである。それら一切を自己責任とはいえない。決して自己責任ではない。それに苦しむのは馬鹿らしい。ただし、一方で自由なのである。奴隷ではない。手足の動かし方から、手が及ぶ権力的なものまでその範囲は人それぞれだろうが、自由なのである。自由なのだから、やりたいことをやればいい。休みたければ休めばいいし、強制ではない。

いろんなことを諦めて、自由にいきる。これである。

そういった考えを、以前バカボンド先生に教えていただいたということもここに残しておきたい。

バカボンド29巻の沢庵さんのセリフ 今度こそ サ・イ・カ・イ だー!!!!!!!!!!! 2009年スタートしました。 ちらほらと僕のブログの再開を望む声が...

というわけで、勝手に狭い箱に入って苦しんでじゃねーよ、という叱咤激励も含めての言葉になるわけである。

 

そうやって考えていくと、自分の体調や趣味趣向、社会との折り合い、いろんな要素をまぜあわせて「今」やろうとすることが何かあるはずである。何か活動しろ、というのではない。休むときもある。

それを安心して実行すればいいだけである。

それが「今」のあなたを尊重し「今」を生きることではなかろうか。無為に○○やりたいけど、○○が、、、などという葛藤を抱えていることが滑稽に思えないだろうか。(やらない、やれない、と思ったらそれを尊重してグダグタいう必要はない。すっきり今を生きればよいのである。いつかやろう、となったときにやればよいのである)

あえていえば、そのグダグダすらも人間らしさ、と笑い飛ばせるのがいいのである。

思うに人は、好奇心が強い。刺激のない状況を生きられない。感覚をすべて閉じられると数時間で発狂するらしい。○○を知りたい、〇〇のようになりたい、〇〇をしたい、と思う。

それは現実と未来のギャップである。ギャップは埋めるだけである。

ここで、やっとタイトルに行き着く。

というわけで、わたしは英語を話せるようになりたい。そしてカナダで金融に携わったという客観的な(自慢できる)何かがほしい、と思った。

そうだ、カナダの金融ライセンスをとろう。

おしまい

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