気がついたら半年更新していなかった。。
何が原因でこうなったのかさっぱりわかりませんが、一旦離れると再開には時間がかかるものです。そして、ふとこうしてどうしようもなく書きたくなる、言葉をつづりたくなるときがある。
これは自己顕示欲なのか、外部からの承認欲なのか、はたまた私の中に眠るライターの血がそうさせるのかは不明です。ただ少し気持ち悪い自分になるときがある。
過去の自分の思いを残すということから考えてみるとこの半年何を考えて過ごしてきたのか、いまとなっては思い起こすことができません。ふふふ。透き通るような青い空と白い雲、肌に心地よいあたたかな日差しの訪れと共に私の執筆活動はストップしているようです。そのあとカケルは5歳になりました。サクラは1歳になりました。ワイフは33歳になって、わたしは無事34歳になりました。そしてそんな季節の終わりにあわせて久しぶりに書きたくなったという訳です。
相変わらず労働時間は長くはありませんが、どこか日常に流されていた気がしないでもないです。サクラが歩きだし、カケルのプリスクール、幼稚園がはじまってどこか、なにか、日々に追われておりました。これは仕事にかける時間と無関係である、ということを知りました。僕の場合、油断すると、そうなるようです。
わたしは退屈なのでしょうか?
それとも幸せなのでしょうか?
それとも何をやりたいのでしょうか?
幸せか?と聞かれれば、幸せ と答えるでしょう。
あたまのなかには色々楽しい場面が思い浮かべられるでしょう。
それでも、いいかわるいか、それとは別に疑問は尽きないのです。
流れに身を任せる7割、自分の新しい興味を知る2割、自分との問答1割。
色んな文章や画像、写真や作品をみると、自己表現をできるってのは本当にステキなことだな、と思うのです。わたしも何か頭の中とか体の中に表現できないモヤモヤしたものを感じることが多いのです。でもそのはけ口がわからない。吐き出し方法がわからない。あるときに少しそれが吐き出される。またあるときはその存在すらなくなるように忘れることがあるんだけど。
これがストレスなのでしょうか。いや、もっと身体の奥にある願望のような印象があるのですが、それは定かではありません。
誰かがAといえば、いやそれはAではない、という人がいる。
すると、Aじゃないなんていうな、という人がいて、結局答えはないよ、といった一般論に着地しようとする人がいる。
なんでしょうか、これは世の常なのでしょうか。
「Aだ」と言い出した人が考えが足りない人のように評価され、それを否定した人が冷たい人のように評価され、答えはない、といった人が後だしジャンケンで油揚げをさらって行く。
もっとハッピーな議論にはならないものかな、と。
わたしは、世の人はもっと人間という生き物を知るべきだと思うわけです。
だれもが同じような欲求をもっていて、それをストレートに表現すると最終的な幸せは得られないのです。
もっとハッピーになる方法を考えていきたいものです。いや、だれか広めてほしいものです。
ここはわたしのブログです。好き勝手かいてもいいでしょ。
34歳か、、くやしいけど想像していたよりも稚拙でしょうがいない思考だなと、我ながら思う。
でも、これも真実なんでしょう。
うふふ。
おしまい。