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透明感のある大人になりない。ナウシカ先生ありがとう。

きれいごとは嫌い、でも透明感のある大人になりたいと思う。

でも透明感ってのはなんだろう。

外見もそうなんだろうけど何か野暮ったいことをそぎ落としたような、シンプルだけど少し奥深いようなそんな人間になりたいと思う。

ねたみ嫉妬欲望なんかの人間くささを感じさせないような人間になりたい。別に隠している訳ではないんだけどオーラで気品を感じさせるような。

前にもこのブログで書いた気がするけど、ナウシカはいいました。いのちは闇の中にまたたく光だ、と。すてきなセリフだと思うんだけどどうだろう。

わたしの人類観?はまさにその言葉に集約されていて、人間(世界)の実態は、闇(ネガティブなもの)に包まれているなわけです。。

ええ、まずそこを捉えずして、あたかも人間をただ光り輝くようなものとして表現するような論調には同意しかねるわけで。。

わたしたちの中には社会を成立させるために授けられた教育や道徳観念もあります。でもそれらは後づけであって、元から持ちえた素養とは異なるはずです。恐れ多くもそれらを我がもの顔ではやし立てるのは、色んな物事にたいして失礼な気がします。

では、闇だけかといったらそうじゃないんですよね。やっぱり何か光ものがあるんです。

それは善行だとかそんな陳腐なものではなくて、心の中にある温かな思いだと思うですよね。

本質が闇だと仮定してもどうしても説明つかないものがある。赤ちゃんが動物を愛でるような光景とかもその現れなんだとおもう。それは、闇の中でこそ輝きを持つし、それこそが核心であり本質であると思うのです。いや、そう信じたいのです。

わたしたちは闇のなかで闇をかかえて生きている。だからこそ、それに立ち向かおうとして、思い悩んだり、迷ったり、苦しい思いもする。でもそれこそが光の部分に他ならないのです。

だから、そう考えてつき詰めて行くと、わたしたちは何かを手に入れるために生きている訳ではなくて、何かを手に入れようとする行為それ自体がひとつの本質であるのではないかと思うのです。

もし何かを手に入れられなくて思い悩むことがあったとしても、本当は落ち込むことも自分を落とすことも必要ないはず。だってそのもがく姿勢こそがいのちですから。

だから大手をふって自分のなりたい物を目指すべきなんじゃないかとも思ったりするのです。

おしまい。

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