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「幸せのおまじない」はいかがなものか

最近月9のプロポーズ大作戦おもしろいっすねー。
すげえ楽しみに第3話ビデオ予約したのに野球延長で15分切れ。
よっしゃすげえいいとこ、ラッキーでした。


(「Youtube」見逃した部分はありませんでしたが第2話まではあるみたいそのうち消されるから早めに見るべし。↑第1話最初の10分。)

オヒサです、読者の皆さん。
別に月9の話は本題と関係ありません。

さて、“幸せになるおまじない”っての聞いたことありますか?
たぶん一度はあるかと思います。

いろいろパターンはあるかと思うのですが
僕の身近な話では
・いやなことがあったら「ついてる」と言葉にだす
・いいことがあったら「感謝します」と言葉にだす

というおまじないがはやっていました。

すごい単純で言霊が働いて不幸が訪れなくなるそうな。。
(身近な彼女が効果があったのなんだって話してましたが)

正直僕は理系よりのこともあり理解しがたい部分が多いです。

まず事実不幸が訪れなくなることなんて考えづらいし
その実際の出来事は変わらないけど
幸せがおとずれるようになると信じることで実際の出来事を
いい方に感じることができるだけ
なんじゃないかな、なんて

まーそうなるとこのおまじないを信じれない時点で
僕にとってこのおまじないってのは無意味だって話ですが・・・

って以前までは冷めた目でみてましたが
最近そうでもないんじゃないかなって思っています。

このおまじないが無意味だという理由に
感覚が変わるだけで事実はかわらないからという
思考があるかと思います。
しかし逆に事実よりも感覚が全てという思考も一理あるんじゃないかと。

そもそも同じ事実を受けても人によって良し悪しはかわりますよね。
僕みたいにサウナ大好きな人もいればサウナ苦手という人もいます。
要は高温多湿という同事実に対し、快を感じるか不快を感じるか
という分岐点が大事
なんじゃないかということです。

仮にその分岐点を操作できれば
より多くの事実を快の感覚へともっていける、しいては幸せが
多く訪れるというロジック
です。

そう考えると事実をより幸せと感じれるようになるおまじないという
ものも幸せが訪れるという文言にそったものではないかなと

最近身内でも「人生はつまらん」「この先おもしろいことは少ない」
なんて話がちらほらあがりますが、
そう思っている人の分岐点は全て不快よりになってしまいます。
つまりはその人にとって人生つまらなくなってしまうのではと思うのです。

「世界の中に自分がいるのではなく、自分の中に世界がある」
ということです

この思考どぅでしょうかね?

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POSTED COMMENT

  1. naoyamann より:

    なるほど、なるほど。なかなか説得力あるなぁ。
    世の中のほとんどが快と感じてしまえばいいんや!!
    その一歩が声に出して言うって感じか?

  2. mario より:

    >なるほど、なるほど。なかなか説得力あるなぁ。
    >世の中のほとんどが快と感じてしまえばいいん
    >や!!
    まーそういうことれす。
    >その一歩が声に出して言うって感じか?
    皆そうすべきっていうんじゃなくて事実を快へと導く手段のひとつとしてね。
    本筋は幸か不幸かは訪れる事実ではなくその人の感覚次第。要は本人の考え次第では?という感じです。

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