お疲れさまです、暇人の皆様。
実は1ヶ月程前から健康に問題を抱えてまして、久しぶりに「なんでおれだけ!」って心で叫びました。
最初は手の甲の約半分が化膿し腫れあがり、次に40度近くの高熱。治まったと思いきや次は右太ももの裏が手の甲と同じ状態になりまして、治りかけには熱がでて、最後には鼻の穴の中で化膿しました。
発端はちょっとした切り傷なんですが、悪化すると本当ひどいことになってまして、こんな長引く不都合は初めてで、これも歳のせいなのか、といらぬ心配をしています、海月です。
さて、
はっきり申し上げてカナダにきてたくさんのものと疎遠になりました。テレビ、車、情報、ゲーム、マンガ、友達、、、、数え上げればキリがないぐらいです。それでも最近しみじみ感じることは「生きるのが楽になった」ということです。
いろいろ離れた今だから感じるのかもしれませんね。
考えてみますた。
何かを手にすると、次はそれを失うことが恐くなりますよ。つまりは思い悩むネタが一つ増え、大なり小なりそこに心が縛られてしまうわけです。そこに繋がりができます。
縛られるなんていうと、少し大げさなネガティブな印象がありますが、つまりはそういうことなんじゃないかと。
生きているとどんどん繋がりが増えますよね。無理のない話と思います。簡単に物がもてる時代ですから。いつの間にか繋がりが増えていってますよね。
何かを得るという事と引き換えに
縛られる量が増えれば増えるほど、自由がきかなくなります。
(失うものができてますからね)
縛られる量が増えれば増えるほど、頭の中で使えるスペースが少なくなります。
(思い悩むネタが多くなりますからね)
かといって、繋がりをなくして生きて行けるほど、皆ストイックにはなれません。
(まあ、力石徹ぐらいですかね)
なるほど、つまりはバランスか、と。
それぞれの器にあわせて繋がりを調整すべきなのでしょう。
つまりは、私が上のように感じるのは、自分の器以上のものを抱えてしまっていたからだということでしょう。
でも、自分の器なんてわかんねーよって。
だから、極力もたないようにしようかなって。
前は友達多ければ多いほどイイのかと思ってた。
でも、別に固執する必要もないなって。むしろ、、、
なんてことを考えてた時に、以前イタリア系移民のショーレさんが話してくれた深いイイ話を思い出したので紹介しようと思う。
ショーレさんの家では、子供が持てるおもちゃの数を決めています。何個か忘れたけど、今は10個ということにしよう。新しくおもちゃを持ちたかったらその分何かを手放さなくてはいけません。1個追加する時には代わりに1個捨てるのです。そうすることで単純におもちゃを増やさせないようにしています。
さらに、子供には常に9個のおもちゃしか持たないよう教えています。何故か。あたらしいおもちゃを受け入れるスペースが必要だからです。10個ある状態では新しいおもちゃは入ってきません。捨てるだけ。新しい物を手に入れるためにスペースを準備しておくのです。
大事なことだよねー。
31年間生きてきて実感しますよ。何事も一杯にしてちゃダメだよね。
常にスペースがないとね、いいプレーできないよね。次につなげられないよね。
まさにショーレさん家のストーリーに、言いたいこと詰まってました。
僕の器の大きさも皆とそう変わらんはずだからね。
みんなもいっぱいになっとるんと違う?
ちなみに、最近めずらしくわたしの機嫌がよろしくなかったのは化膿した痛みが頭を占領していたからに他なりません。うんうん、スペースが必要よね。
くぅー、かわいいぜ。
おしまい