オシャレな奴は中途半端なやつだ。
ここでいうオシャレってのは常に流行をとりいれて雑誌の講読を欠かさないような奴ね。
流行ってその出所は不明。
どっかのデザイナーが今年は細身のパンツ作ってみようかなーっなんて作っちゃうとそれが流行になるんだからね。
雑誌、メディアで取り上げられて、マインドコントロールされた人民はそれがいいと思い込む。そして次々にデザイナーの気まぐれで作られる流行を追い続ける。
しまいにゃ何十年前のものが再度ブームになることすらあるんだからね。
みんなが欲しがる、みんなが着ている、着たがるはずだという思い込みからそれを身にまとうだけで安心感を得る。仲間だと勘違いする。
着るもので自分に自信を植えつける。
中途半端な自信が流行を追い続けさせる。
そして町をあるけば半端野郎ばっかりだ。
みてらんねーよ。
本物は流行にはとらわれないだろう。
自分にあったものをキチンと選択できる。中身をもっているからね。
ただ逆に服なんていいやって奴もハヤリを追わない、そしてかといって自分にあったものも選択でききれない。これはこれで困った反社会的。
・・・そして僕はそんな底辺に近い部類。
でも勘違いはしない、自分を認めてるんだ。ウンウン
これはこれで一つの真実。
半端君は勘違い。
「オシャレさんはみんな半端やろうだ!」
以上、ひがみばっちりオシャレは半端野郎の法則でした。
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流行ってすごいよね。昔の映像とか見たら変って思うもんね。 多分、今の細い眉毛とかメイクとかも何十年後にみたら相当へんなんやろうな。
ファッションに限らず仕事でもスポーツでもいいと思うものをまねることが成長への一番の早道じゃないかな? そんで自分のスタイルを築きあげればいいんじゃないの? それがなかなか難しいところなんやけどね。
昨日何かのTV番組で言ってました「ファッションは自己満が99%よってね」
dyuさんコメントさんくすです。
いいと思うものを真似るのが早道、自己満99%、正解!!
本当難しいなって思います。
ただ元々ファッションの”いいと思うもの”ってのが一部の人の思いつきから始まるってような気がして納得いかなくて。
情報の発信者(デザイナー、評論家)には理論的な制約がなくないですか?
製造メーカーには新しいブームをつくるために技術発展が欠かせないでしょ?でなきゃ僕達エンドユーザーは購入したりしないですからね。わかりやすい。
でもファッションに関しては少し曖昧で上位一部の人が認めたものはメディアに載って正解となって下位の人に降りてくる。言い換えれば一部ですがメディアが世のファッションの正解を作り出しているところがありませんか?
何よりも個人が自分のスタイルを作ることが目標にということには違いありませんが・・・。